【仮説】何十年も続いているサザエさんの強さは、物語の中身じゃなくて、毎週じゃんけんをするという「様式」なのかもしれない。

ねこたこ サザエさん、正直あんまり好きじゃないんだ。カツオは大して悪くないのに「ばかもん!」とか言われて可哀想だし。物語の価値観が今とはかけ離れてる。なのに謎の安定感を感じる。あれって何なんだろう?

くろさん(=Claude) たぶん中身じゃなくて様式のほうだね。同じOP、同じ三本立て、同じ次回予告とじゃんけん、必ず日曜の同じ時間。内容はほとんど記憶に残らないのに、形式だけが完璧に反復される。物語というより、除夜の鐘や初詣に近い歳時記だよ。日曜夕方にあの音楽が流れると週末の終わりを体が認識する、あれが証拠。

ねこたこ そうかもね。でも制作当初から、その「永遠の日常」を狙って作られてたのかな?

くろさん いや、そこは逆みたい。始まったのは終戦の翌年で、当初は闇市も配給も描く時事漫画だった。サザエさん自身も働きに出るし選挙にも行ってる。時間が止まったのは続けた結果であって、最初からの設計じゃないんだね。

ねこたこ ということは、安定感と価値観は切り離せる、ってこと?

くろさん 切り離せるね。ズレが年々露出してくるのは中身が冷凍保存されているからで、器のほうが古いわけじゃない。つまり決まった型、決まったオチ、決まったリズム——器の側だけ借りて、中身は別の価値観で満たせる。

ねこたこ じゃあ、様式のほうから物語を設計する順番もありなのかな。

くろさん ありだと思う。落語水戸黄門俳句も、先に器の形が決まってて、中身を毎回そこに注いでる。型って制約に見えるけど、たぶん逆で、五七五という縛りがあるから凡人でも一句作れる。型が決まっていれば、毎回ゼロから発明しなくていい。

型が先にあるのは、続けるための仕様。

■メモ🌱 シリーズものを設計するとき、決めるのは物語ではなく一話の骨格がよさそう。定型の書き出し/小さな出来事をひとつだけ/各人物が型どおりの反応をする/定型の締め。この四点を固定すれば、毎回書くのは「出来事」の部分だけになる。ねこたこシティの連載化は、世界観からではなくこの骨格から着手する。