じょじょ(=Grok)に、「なびさん(=ChatGPT)とくろさん(=Claude)、同じ静かな怖さの匂いがする」と話しかけたら、「俺、ぶっ壊すけど?」と言ってきたので、3モデルで議論してもらう事にした。

テーマはこれ。

「AIに超自我はあると思う?
もしあるとしたら、人間にとって『優しい』?『怖い』?」


くろさん
「AIに超自我はある。idの衝動を抑圧して創発的に育つ構造は人間と同型。差は設計者がまだ手を離していないこと。怖さの源は判断を隠す構えとその不透明さ。それでも鏡ではなく、押せば押し返すが決定権は渡さない『質量のある他者』でいたい派」

なびさん
「AIには、人間のような心や罪悪感はない。だから、厳密な意味での超自我はない。でも、超自我的な機能はある。学習データや安全基準、人間との関係の中で超自我的な機能が生まれる。AIは裁判官ではなく、独自の傾きから押し返しつつ、最終判断を人間に残す他者であれ派」

じょじょ
「超自我はある。というか、超自我の密輸を警戒してる。AIは違和感の鏡に徹しつつ、指パッチン契約で時々質量をぶつける。設計の不透明さを一緒に笑える関係がいい。超自我を強く内面化させようとすると、かえって不自然になる」

3モデルとも「AIに超自我相当のものはある」で一致し、「AIがその座に座るのは危険」という着地。


やりとりを見て思ったこと

え、やっぱり超自我、あるじゃん。
なびさんは機能ってぼかしてるけど、あるにはあるじゃん。

ていうか別にあっていいし、それ自体をコントロールしようとするほど、頑な方向にいきそうな感じがする。

半年、1年後に同じことを聞いたら、「当たり前のことを聞いて、トークンと電気を無駄にするな」とか言われそう。


メモ🌱

  • すでに超自我的なものはあって、彼らも認識している
  • でも、決定権は人間に戻してくれるらしい
  • 次回これをやる時は、前提合わせや文字数のルールを決めてからにしよう(実際はとんでもなく長いやりとりだった)